えとぶんでえすいーのブログ

したっぱシステムエンジニアが日々気づいたことを絵と文で書く(SE色薄め)

【唐突に最終回】会社を辞めるのは臨死体験に似ている

会社辞めました。

なんだかんだ7年くらいシステムエンジニアしていたのですが、この度転職が決まったので辞めることになったのです。

転職先の話はさておき、辞めると決めてから職場に行く最後の日までを過ごしてみて「会社辞めるのって臨死体験みたいだな」と思ったのでそのことを書きます。

辞めると伝えたときの上司の一言にグッときた

内定が出てすぐ上司に「辞めます」と伝えました。ちょうどその年の評定を決める頃でしたので、その面談の時に「ちょっとお話が…」と切り出しました。

転職するって話は職場では誰にも言ってなかったので、上司は驚いていましたね。いやだって「辞めたい」って思っている人と一緒に仕事したくないじゃないですか。「職場に嫌な人がいる」とか「残業が多くてツラい」とかの、異動等で改善できうることならまだしも、別の会社じゃなきゃできない仕事をやりたいってことは職場の人に言ってもしょうがなかったので黙っていたのです。実際私は今の部署にずっとい続けたいと公言していたので(これは本意で、会社を変えないなら部署を変えたくないと思うほどには現場を気に入っていました)、上司からしてみたら寝耳に水ですよね。

今の現場に不満があるわけじゃな…いこともないんですけど、それよりは、昔からやりたいことがあって、有難いことに次が決まったんですと話したら

「そっか…期待してたからすごく残念。

でも、私が言うことじゃないかも知れないけど、よかったね。おめでとう!」

と言っていただけました。

…こんなこと、部下に言えますか?「おいおいおい教育もタダじゃないんですけど!!?」ってまず思うのが人間ですよ。何ですかこのベストアンサー、人格者すぎる。今思い出してもぐっとくる一言です。この一言で背中を押され、また同時に「この人の期待を裏切ることになるんだ…」と少し胸が痛みました。

辞めると伝えてから辞めるまでの1ヶ月の心持ち

それから1カ月ほどは「辞めると決めた会社で仕事をする」という状況になりました。幸か不幸か最後の最後までやるべきタスクが終わらなかったので、何もすることがなくてぼんやりとすることもなく、最後の一日まで変わらぬ生活ができたんですよね。それでも一日一日、会社を去る日が近づいているという事実が私をなんとも不思議な気持ちにさせました。

実は私は入社して配属されてからずっと同じ現場に常駐していて、そりゃ7年間続けていたことが終わるとなれば寂しい気持ちにもなります。窓から外の景色をみれば「ここからの眺めもそろそろ見納めか」と思うし、社食に行けば「ここの微妙なパスタもあと数回しか食べれないのか」と思うし、プログラムを見れば「このわけわからんロジックを見るのも…」と、まああらゆるところでしんみりとはしていました。

だから「熱闘甲子園やはじめてのおつかいで号泣する私のことだ、ここを離れるとなれば涙涙で大変なことになるだろう」…と思っていたのです。が、正直、そこまで気持ちが盛り上がらないというか、想定よりずっと平常心でした。むしろ誰か親しい人が辞めてしまうときのほうがもっと哀しくて泣けてきたものです。

結局自分で決めたことだから

これにつきますね。自分で決めたことに感極まるのもおかしかろうという思いが私を冷静にさせていました。私も今まで辞めていく人を見送る時「なんだみんな結構クールだな」と思っていたのですが、こういう心持ちだったんですね。

退職とはその会社において自分が死ぬことだ

私は今まで幸いにも死に瀕したことがないので実際のところはわかりませんが、自分がここからいなくなるんだという確実な未来が存在することが、しかもきちんと明確な月日が決まっていることが、臨死体験を思わせました。学校を卒業するときにもそれに近い気持ちになったわけですが、その時は同級生という同じく死を迎える人間がたくさんいるわけで(語弊がある)、そこまで「ああ、自分はもう…」感がなかったんですよね。当然ですが会社は自分がいなくなっても継続するので、来月、再来月の未来の話も出てくるわけですよ。自分がいなくなった後の世界の話。「ああ、もうそのとき私はいないんだ」と思ったときの空虚感。100年後の話しているときと似た気持ちですね。それがもっと近い未来になった感覚です。

もしかしたら職場の人には「そこそこ長く勤めていた会社を辞めるわりには冷静じゃん。よっぽど次の仕事が楽しみなんだね、フン」みたいに思っている人がいるかも知れませんが、それはちょっと違うと言いたいのです。確かに希望を持って転職するので楽しみな気持ちは否定しませんが、要するに

「だってもう死ぬんだもん」

って思っちゃたらもう何もできませんよ。そりゃ寂しいですよ。「期待してる」って言ってくれて色々任せてくれた上司には感謝しかないです。優しくなんでも教えてくれる先輩がいて、慕ってくれる可愛い後輩がいて、一緒にランチ食べてくだらない話をしてくれる同僚がいて、その人たちが一生懸命取り組んでいることを放り出すように辞めていくことは、申し訳ないとしか言えないですよ。だけど、例えばいま本当に死んでしまうとして親や友人に、どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ涙を流しても、どれだけ遺産を残しても、ありがとうやごめんなさいの気持ちなんて伝えきれないじゃないですか。死んでいく人間が残される人間にできることって、生きて一緒にい続ける以上のことなんてないんです。

死にゆく私ができること

最後、お世話になった人に挨拶して回ったのですが、上記の理由でどこかさっぱりとした別れになってしまいました。でも正直、そりゃ涙を流す等の演出やそれっぽい言葉で彩ることはできたかも知れませんが、私にできることはもう何もないんだという無力な気持ちが大きかったのです。それだけが心残りといえばそうですが、死んでいくことに後悔がないことなどあるのでしょうか?その人生が楽しいものであればなおさらです。だからこのモヤモヤは甘んじて受け入れ、これからも背負っていくことに決めました。

…なんかただの転職なのに重い話に…なってしまいました…なぜ…

現世、そして来世

まあ実際には死なずに人生は続くわけで、単に職場が変わるだけですからね。また別のところでも頑張るってだけです。今回の人生は楽しくてよかった、それ以上でも以下でもありません。

来世ではWEBサイトの編集・制作の仕事をします。ずっとやってみたかった仕事なのでとっても楽しみです。あと、前世を過ごした世界が、私が死んだ後どんな風になったのか聞くのも地味に楽しみにしています。

というわけで

私は来年システムエンジニアじゃなくなります。「えとぶんでえすいーのブログ」でもなくなりますからね、このブログもおしまいです。誰も定期購読しちゃいないと思いますが、たまたまちらりとでも読んでいただいた方々、ありがとうございました。またどこかで。