漫画やアニメの制服のスカートがみんな短いのはMOTTAINAI
こんばんはたまリモです。
今回は漫画やアニメに出てくる女子中高生のスカート丈がみんな短いのはもったいないと思う話を書きます。ついでに、実はあまり知られてないように思う(特に男性には)制服のスカートを短くする仕組みについても前提知識として必要なので、イラスト付きで説明します。
さて、前々から疑問に思っていたんですが、漫画やアニメに出てくる女子中高生って
どうしてみんなスカート短いんですか?
…いや、わかっているんですよ。そこに需要があるからですよね。あの年頃の女子の太ももの価値やパンチラの可能性向上、ラッキースケベの違和感軽減という点は理解しているつもりです。
ただ、なぜみんながみんな同じように短くしちゃうのかな〜と思うんですよね。
女性の方はだいたいご存じのことで、まあ当たり前っちゃあ当たり前なんですが、そもそも制服のスカートって購入した当初から短いわけじゃないんですよ。私も自分の母校しかデータがありませんが、デフォルトはだいたい膝くらいの長さですかね。それをどうやって短くしているのかというと、3パターンあるわけです。
どうやってスカートを短くするの?
▼こうやります
1.切る
物理的に切る。(もちろんほつれないように切りっぱなしにせず始末します)
メリット:すごく短くできる。一度切ってしまえば後は楽。
デメリット:自分でやるにせよお店に頼むにせよ、切る際に手間とお金がかかる。あと元に戻せない(流行や自分の気分が変わった場合、一時的に校則の遵守が求められる場合に対応不可)
2.捲く
腰でくるくると捲いて引き上げる。
メリット:手軽
デメリット:あんまり短くできない。経験則的に2回以上の撒きは厳しい(腰のあたりがすごくごわごわする、スカートのヒダがぐしゃぐしゃになる)。
3.ベルト
スカートを引き上げてベルトで固定する。
メリット:けっこう短くできる
デメリット:ベルトを買うお金が必要
もしかしたら他に画期的な方法があったのかもしれませんが、私のまわりではこの3パターンでした。
どうしてそんなに短いの
ここで冒頭の疑問に戻るんですが、
「どうして漫画やアニメの女のコはみんなスカート短いの?」ということ。
例えば入学式のシーンがあったとして、
「えっ、もう短いの!?」と思うわけですよ。
入学時から制服のスカートを切ったり捲いたりベルトを使ったりして短くしてくるなんて、結構攻めてるなこのコって思っちゃうんですよね。
それも「服装とか見た目とか興味ないです…」っていう地味キャラも
「破廉恥なっ///」っていうツンデレ委員長キャラも
「とにかく目立たない学園生活を送りたい…」っていうラノベ系やれやれキャラも
みんなみんな短いじゃないですか。どんなお嬢様学校であっても。どういう心理状態でそんな短くしたんだろう…と考えてしまいます。
結局、全校生徒がみんな短いのを見て「きっと元からこの学校の制服の短いスカートは短いんだな」という結論に至ります。そうとしか考えられない。しかしなんたる破廉恥学園。それか超エコ。
スカート丈を読み取りたい
でもって何を主張したいのかと言うと、スカート丈を長くせいというわけではなく、
スカート丈に個性を出してくれたらな〜
ということです。キャラによって胸の大きさが違ったりしますよね。脚(≠足)の太さとか長さとか形が違うこともありますよね。スカート丈も胸や脚のように個性を主張できる要素のひとつであって、それを描かないのはもったいないように思うのです。
大人しい地味キャラなら膝丈くらい長くして、その一方でギャルっぽいキャラはミニスカにすればお互いの個性が引き立つことでしょう。
主人公が第1話では引っ込み思案だったなら、新しい仲間や部活に出会って、心を開いていく内に、だんだんとスカート丈も短く垢抜けていく…と時間の経過と共に変化するのもいいですね。「本編では触れてないけど実は描写されている」っていう「オレは気づいたぜ」要素、好きです。ああでも急に短くなったりすると、その経緯を描いた話がないと違和感になってしまうのかな〜ダメかな〜。
なんにせよいろんなスカート丈を読み取りたいのです私は。
おわりに
スカート丈、皆さんはどうお考えでしょうか。私は、たいていの学園モノは一律短いのでいつも気になっていました。もし今まで気にしていなかったら、これからはちょっと気にかけてみてください。知られざるときめきが眠っているはずです。あともしすでに書き分けている作品があれば是非教えて下さい。(少女漫画はありそうですね)
おしまい。
システムエンジニアはこうして漆黒に染まる
こんばんはたまリモです。
中二病っぽいタイトルにしてみました。中身はそう中二っぽくはありませんのであしからず。
システムエンジニアのイメージってどんなものでしょうか?
集計を取ったわけではないですが、私が初対面の方に「システムエンジニアです」と名乗ったときのリアクションから
という風に思われてるっぽいなあと感じています。あんまりよいイメージがないですね。「大変なんでしょう?」なんて気の毒そうに言われたりもします。こちらも特に否定はしませんが。
天下のYahoo!検索もこのとおり。
さて、SEがブラックなのは皆さん認識されているようなんですが、なぜこんなにもブラックと言われるのかご存知ですか?
なぜ残業するのか?
なぜ休日出勤しなきゃいけないのか?
今回はそれを絵と文でご説明致します。理由がわかれば、やたら忙しいと愚痴るSEの旦那さんの気持ちがわかるかもしれないですし、学生さんは「SEにだけはなるまい」と心に深く刻めるかもしれません。知っておいて損はないはずです。
……なお、あくまで「こういう場合もあるんだよ」というお話ですので、SEがブラックな要因は記載した内容だけではないと思います。同業者の方は「こんなことはない!」「なんじゃこりゃ!」「真の原因は違うんだよ!」と思ったとしても目をつぶっていただけると幸いです。むしろ違うのであれば是非そちらのお話を聞かせてください。よろしくお願いします。
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4月、桜が咲き乱れる頃、株式会社あにまるシステムズでは、あるプロジェクトが始まります。計画は以下の通り。
4月から始まり8月末に完了する5ヶ月のプロジェクトですね。
顔のマークはその月にプロジェクトへアサインする人数を表しています。4月に2人、5月は一人増えて3人、6月は5人、7月は6人、8月は2人必要なプロジェクトということですね。IT業界と、あと建設業界でよく使われるのですが、このようにプロジェクトを完了させるために1ヶ月何人必要か見積もることを「人月(にんげつ)計算」と言います。この例で言うと、2+3+5+6+2の18人月のプロジェクトとなるわけです。
このような数字は、プロジェクトが始まる前のお客さんの見積もりで既に決まっています。「こんなシステムをだいたいこの期間のこの人数で作ってください」と提示していただくのです。それを私たちシステム屋が「はい喜んで!」と受けてプロジェクトは立ち上がるのです。
さて、4月。
新しいプロジェクトの始まり……と言いたいところですが、なんということでしょう。仕事がありません。
今回のお客さんの要望は「たくさんのデータの中から、哺乳類の動物だけ抜き出して紙に印刷する」というシステムをつくってほしいというものでした。(なんだこの例は)
ここでエンジニアはたくさん質問します。
「哺乳類っていうのは『くま』『いぬ』『かものはし』のことですよね?」
「紙に出すタイミングはいつですか?」
「紙のレイアウトはどうしますか?」
などなど。細かいことかもしれませんが、こういうことが決まらないとシステムは作れないからです。プログラムというものはあらゆる命令を確実に実行してくれますが、逆に言えば「言われてないことはやらない」のです。
「トイレ掃除しといて〜。道具は棚にあるブラシ使ってくれたらいいから」という命令をしたとして、トイレ掃除はしますが、トイレットペーパーがなくても補充したりしません。また、棚にブラシがなかった場合には掃除すらしません。棚にタワシがあったとしてもです。なので、プログラムとしては「トイレ掃除をしろ。棚にあるブラシを使え。ブラシがなければタワシを使え。タワシもない場合は掃除のおばちゃんを呼べ」とまで命令してあげる必要があるのです。面倒ですね。
話は戻って、システム構築のために質問をたくさんお客さんに投げましたね。その答えは……
沈黙。
ハン◯ー試験じゃありません。驚くべきことに、お客さんもはっきりと正解がわからないのです。わからないなりに決めてくれればいいのですが、「決めかねるのでちょっと持ち帰り考えます」と言ったきり、まるで音沙汰がないなんてこともよくあります。
こうして4月は過ぎていきます。この時はとりあえず『くま』・『いぬ』・『かものはし』を紙に出すようなシステムを作る想定で設計を進めます。細かいところはお客さんの回答待ちなので作り込めません。この頃は残業はなく定時に帰れます。未来に面倒をまわしていることの不安はあるものの、束の間の自由を享受します。
そして5月。……やることがない。
まだお客さんから回答はありません。こちらは手を変え品を変え質問をします。
「かものはしはクチバシはあるけれど哺乳類ですから対象にしていいんですよね? ね?」
「前に作った『データの中から魚類を抜き出すシステム』ではこんなレイアウトの紙に出していたので、これと一緒でいいですか?」
などなど。あらゆる聞き方で答えを引き出そうとします。この頃もできる作業は少ないので残業はなく定時に帰れます。しかしこの時期に暇であることは正直恐怖でしかありません。家族との団欒も束の間の幸せと思うと涙が出そうになる頃です。
やっと6月。お客様から質問の回答が返ってきました!
この時点で2ヶ月の遅れです。ほぼ何もしないままに全体の2/5が終わってしまいました。遅れを取り戻すために、今月は8人分の仕事をしなければいけません。現場はてんてこ舞いです。深夜に帰宅することも多くなり、家族で食卓を囲むこともなくなってくる頃です。
でもって7月。てんてこ舞いな状況は続きます。
お客様もだんだんエンジンがかかってきたのか、「哺乳類だけじゃなくて、水の中を泳げる動物も対象にして」「『くま』と出す紙だけは黒字に白い字で出して」と「あれ?初めの頃よりやることが増えてるぞ?」と思うようなことも口にしてきます。それもお客さんが「絶対やらないとダメ!」と言えば対応せざるを得ません。今月も8人分頑張ります。会社から帰らない日が出てくる頃です。
とうとう8月。今月末がリリース予定日です……が、結局前半の遅れが響いて、「哺乳類の動物だけ抜き出して紙に印刷する」システムしかできていません。……それで十分じゃないかって? とんでもない! 後から追加で頼まれた
「哺乳類だけじゃなくて、水の中を泳げる動物も対象にすること」
「『くま』と出す紙だけは黒地に白い字で出すこと」
「『ねこ』の紙を出すときは紙の裏面に虹色に光るシールを貼って、それを剥がすと『大吉』『吉』『末吉』『凶』のいずれかを出すようにすること」
ができてないじゃないですか!
その追加分はなんとか9月にまわしてもらうようお客さんに頭を下げます。今月は最後の追い込み、10人分頑張ります。
察しの良い方はお気づきかと思いますが、8月は元々2人で仕事をする予定でしたよね? けれど実際には10人分の仕事があるとなると、どこからか8人現れて助けてくれるのでしょうか? いいえ、違います。2人で10人分働くのです。5倍です。大丈夫です、1日は24時間あるし、1ヶ月は31日もあります。大丈夫です。ただ、このあたりで離婚する人が出てきたりします。もちろん極まれにですよ。大丈夫です。大丈夫。
さらに9月。8月末で終わる予定がおかしいですね、まだ作業が残っています。気持ち的には俺たちの戦いはこれからだ!ってところでしょうか。
こうして見ると、予定と現実で顔のマーク、つまり必要な人数がぜんぜん違っていると思いませんか? 不思議ですね〜。見積もりとは一体なんだったんでしょうか。すごく不思議です。SFです。でもやるしかないのです。「なんかもうお金払ってもいいから休みたいなあ」なんて思いつつ、日々を過ごすしかないのです。
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なんだかかえってわかりにくい例になってしまった気がしますが、要するに
「お客さんがなかなかどういうシステムをつくってほしいのか決めてくれない、なのに締め切りは延びない。だからSEは特にシステムリリース前に死ぬほど忙しくなるんだよ〜」
ということです。
おわかりいただけたでしょうか?
まわりでSEの方がおりましたら、こういう事情があるんだなあ、大変だなあと、優しく労わってあげてくださいね。ちょっといい目薬なんかをプレゼントすると喜びますよ、きっと。あと一生働かなくていいくらいの大金をあげたりしたらもっと喜びますよ。よろしければ。
若手ライターはいかに生き残るのか聞いてきました
こんばんはたまリモです。
この前の日曜日、「若手ライターはいかに生き残るのか2」というイベントに参加してきました。
以下、イベントの内容について、上のサイトの紹介から抜粋です。
2014年11月に開催された伝説のイベント「若手ライターはいかに生きるべきか」の第二弾。
宣伝会議「編集・ライター養成講座上級コース」専任講師の米光一成と、 注目の新人ライター青柳美帆子と井上マサキが、若手ライターの現状を赤裸々にトーク。
第一弾の時は、ライターとして大活躍し、このままフリーでやるか就職するかを悩んでいた青柳美帆子が、その後の2年間がどうなっていったのかを検証。
そして40歳を超えて本格ライターデビュー、年収を倍増(元が少ないかったからな!)の井上マサキが、これまでのライター人生とこの後どういう手を打っていいのか悩みを激白。「若手ライターはいかに生きるべきか」を考え抜き、さらに交流もしてしまう3時間。
ライターはもちろん、編集やライティングに興味がある人はぜひ!
私は若手ライターではないですが、「編集やライティングに興味がある人」として参加してきました。
会場は高円寺パンディット。出演はゲーム作家・ライターの米光一成さん、ライターの青柳美帆子さん、ライターの井上マサキさんの3人。リアルタイム議事録筆記者としてライターの余儀明子さんが参加されていました。
18:30スタートだったのですが、1時間前には受付開始しているということで、18時前には会場に入りました。椅子がびっしり並べられていて、6席×8列くらいでしょうか。壁際にも何人か座れるようなスペースがあるようです。人の集まり具合はまだパラパラ。すでに出演者のお三人はゆるくトークを始めていて、それをみんななんとなく聞いているような感じ。「2、3年前からライターに写真も動画もさらに絵も求められるようになって大変ですよね」というお話をしていて、確かに一眼レフ持っているライターが重宝されるとか聞いたことあるなあと思いました。あとねほりんぱほりんの話も出ていました。
開始時間が迫るにつれて次々人が増え、そう広くない会場はものすごい密度に!今回チケットは完売だそうで、参加者は全員で50人近いんだとか。すごいですねえ。
そして18:30になり、イベント開始!
ここから3人の自己紹介があり、前回イベントからの青柳さんの変化の報告があり、そしてメインテーマ「ライターはどう生きるか」があり……と盛り上がっていくのです、が……
自分の書いたメモが散漫すぎてとてもイベントレポとしてまとめられそうにないので諦めました。すみません。会場の描写で力尽きました。早い。すみません。
前回のイベント第一弾は電子書籍として出版されていて、きっと今回もいずれまとめられるだろうと思います。詳細はそのときを待ちましょう!
↓↓第一弾はこちら↓↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XF5G2ZR
しかしまあこれだけで終わらせるのもアレなんで、今回は全体を通して私が印象に残ったことを書き残しておくことにします。
フリーライターでなくなって見えてきたこと
青柳さんは昨年某Webメディアへ就職したそうで、現在フリーライターではなくなっていました。今も文章を書くことを仕事にしていることは変わりないのですが、フリーライターでなくなったからこそフリーライターのなんたるかが見えてきたと話します。
「フリーでライターをやっていたときは、自分がおもしろい記事を書いてバズらせればいいと思っていた」と言う青柳さん。しかし、それぞれのメディアに媒体特性やブランドがあり、そこにビンゴな記事を書けることが求められていると気づいたそうです。それはつまり、「バズらない」記事であっても、そのメディアとして書くべきことがあるんだということ。さらに編集長が変わればその媒体方針も変わり、「ビンゴな内容は何か」も変わるそうで、フリーライターはそこに敏感でなければならないという話になりました。
そこから「この業界はマジで人を探している」と続きます。確かに先日問題になったWELQのようにコピペ記事を書く人はいるけど、そういう人には頼めない、頼みたくない仕事があり、そのための人材が不足しているんだとか。フリーライターとしては、仕事を依頼する側が「誰かいい人いない?」と考えた時にパッと思いつくリストに上がる人間になれるといいねとのことでした。
確かに私も、ライター志望というか、文章を書きたい、しかもそれでお金もらいたいと思っている人は星の数ほどいると思っていて「ライター不足」という話を聞くたびに、「そんな嘘には騙されまい!!」と謎の警戒心を持っていたのですが、こういう背景があったんですね。さらに「ライターは『売れっこ』と、いわゆる『コピペライター』の二極化が進んでいる気がする」とのことで、「その間の真ん中の層の人材はライターを探している人に見つけられていないのでは」と予想されていました。米光さん曰く、この層が探し出されるのにはタイムラグがあり、よい文章を書き続けていたら1年半後くらいから仕事を頼まれるようになるそうです。数本ちょっとよい記事を書いたくらいではなかなか頼みにくいんだそうな。確かに文にも絵にも「奇跡の一枚」があるでしょうし、その人の平均的な品質と生産性を見るにはそれくらいの期間が必要なのかなーと思いますね。
▼承認欲求とお金について
※私が当日の青柳さんのお洋服を失念してしまったため、このイベント告知用のイラストで描かれていた服装を着せています。本当はなにかステキな格好をしていたように思います。似顔絵が似ていないことに関しては青柳さん以外からの苦情は受け付けません。
ライター40歳定年説
というのをご存知ですか?つまり、40歳を過ぎると編集者の方が自分より年下になってしまい、仕事を頼まれなくなってくるという説です。しかし「そもそもそういう人は自分が年上なのにかこつけて、編集者に対して説教かますとかして嫌がられてる結果なんじゃないの?最近はウェブでやりとりすることも多いし、年齢を意識することも少ない」と一蹴されていました。なるほど〜。
実はシステムエンジニアにも35歳定年説というのがあって、これは35歳あたりから新しい技術についていくのが辛くなるということと、年齢的にプログラミング等の制作よりはマネジメント業を求められてSEっぽくなくなるということが理由としてあげられます。あと体力的精神的にこのあたりから無理がきかなくなるとか。我慢していたものが崩壊するとか。なんか遠くに行きたくなっちゃうとか。聞きますね。こちらもどなたか一蹴してくれたらいいですねえ。
署名のない記事を書く意味
こちらは参加者のライターの方が質問していたのですが、署名のない記事を書く、書き続ける意味はあるのか、ということ。イベント内では「ポートフォリオが大事!」という話が再三出ていて、私はその意味すら知らなかったのですが(ポートフォリオ:クリエイターの世界で、自分の実績や力量を評価してもらうための資料・作品集を指す言葉)、無署名記事だとそれにならないんじゃないかという葛藤があるんだそうです。しかし必ずしも署名のある記事の単価が高いというわけでもなく、むしろ企業の出す社内報なんかは無署名だけど結構稼げるという情報も。
結局「無署名でも自分で書いた記事ならアピールに使っていいんじゃない?嘘ではないんだし」という結論になっていました。それよりは、署名の有無によらず「書いたことが次の糧になっているか?」の方がずっと重要だということです。むしろ署名記事だとしても、何の糧にもならない記事なら書かない方がいいと。フリーでやるということは自分でどんどん仕事を呼び込まないといけないわけで、そこが企業勤めとは仕事のやり方が違うんだなあと思いました。よくも悪くも仕事を選べるし、選ばなきゃいけないんですね。
▼最近叱られたことはありますか?の回答
※似顔絵が似ていないことに関しては米光さん以外からの苦情は受け付けません
ネットの世界は2%くらい
こちらも質疑応答から出た話題。「ネットでの記事や発言に対して個人攻撃を受けたことがある?」という質問に対し、井上さんは「ない、いつか狙われるのかと思うと怖い」、青柳さんは「あります」と回答。心無い攻撃にはもちろん落ち込みはするそうですが「ライターは孤独だからネットの世界が全てだと思ってしまうけど、そんなことはない。ネットの世界なんて2%くらいなもん」とのことです。この考え方、かっこいいですね〜。
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以上が印象に残ったところです。あとは、
・履歴書に書けない経歴がライターだと仕事になる
・書く能力より書く内容がある人に文章を書かせた方がうまくいく
・SNSで愚痴が多い奴には仕事を頼みたくなくなる。ポジティブだとごきげんな奴だと思われて印象がよい
・落ちこんだらDMMのエロ漫画を読んで寝ろ
などなど。詳細はいずれ出るであろう電子書籍でご確認ください。
▼自慢と驚嘆
※似顔絵が似ていないことに関しては井上さん以外からの苦情は受け付けません
イベント後はそのまま交流会になり、そこかしこで名刺が飛び交っていました。あと自分の書いた文や手がけている雑誌を見せたり。ライターの方はこういう場を仕事に繋げるんですね。皆さんが話している姿を見て、ライターって本当に熱量のある仕事なんだなあと、この時特に実感しました。
第3回はまた近い内(と前回も言っていて3年経ってしまったらしいのですが)開催したいとのことでした。次は私も出る側に回れるような人間になっていたいですね〜。
長かった!おしまい。
もう3月だけど言う年賀状が好き
こんばんはたまリモです。
もう3月にもなって何を言うかという感じですが、年賀状が好きです。書いて楽しい、もらって嬉しい、お年玉付いててハッピーって、最高じゃないですか。喪中だと本当に悲しいので、親族はみんないつまでも健康で死ななければいいなと思っています。
歴代の年賀状が掘り起こされたので以下に残しておきます。年末のテンションでどうかしちゃったのかなと思うやつもありますがご了承ください。
▼2010年
かなり攻めていますね。この問はなんなんですかね。7年前なのにもう自分がわからない。
▼2011年
主線がないのがオシャレだと思っていた頃ですね。
▼2013年
わりと大人しめ。特に意識していませんでしたが、当時案件のリーダーがインドっぽい人だったので、毎日会うことでサブリミナル的に刷り込まれて描いたのかもしれません。
▼2015年その1_表
描いている途中でどう考えても話がオチないことに気づいて裏面を使うことにした気がします。
▼2015年その1_裏
▼2015年その2
右下にキャッチコピーを入れてルミネの広告みたいにしたかったような気がします。
▼2017年
うしろに「立つ鳥後を濁さず」を映画のシーンとして描いたのですが誰も気づかなかった気がします。
来年につづく。
実家が都内にあるけど都内で一人暮らし始めた話
こんばんはたまリモです。
実家が都内にあるけど都内で一人暮らし始めた話をします。今回は絵を描くような箇所がないので文章のみとなっております。
一人暮らしを始めて数年が経ちました。社会人になって2年目くらいに、自分の収支から一人暮らしできる見通しが立てられたので始めました。
一人暮らしを始めるにあたって、いろんな人に「なんで一人暮らし始めるの?実家でいいじゃん」と言われたものです。地方から上京してきた方々には特に。確かに私の実家は23区某所にあり、渋谷や新宿に出るにも30分かからないという好立地にあるんですよね。特別親が一人暮らしを推奨しているわけでもなく、進学や就職で止むを得ず家を出た方から見たらお金をドブに捨てているように見えてもしょうがないと思います。
ただ、私はむしろ「実家を出る予定がない」ことに危機感を感じていたのです。
実家はとっても便利なところにあり、職場にも近い。転勤もまずない。結婚の予定もない。
では、いつ実家を出ることになるのか。
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3X年後、3月某日。満開の桜。寺。両親の葬儀を無事終えた私(60)。日に日に弱っていく親の介護を続けるのは辛かったが、それもとうとう終わり。幼少の頃から長く住んでいた実家も老朽化と遺産の分配のため取り壊すことになっている。結婚はついにしなかった。本当に一人になったのだ。
住むところを探さなければならない。不動産屋をのぞく。春から社会人になるらしい女のコが、母親と物件を探しているようだ。間取り図を見比べながら、ここがいい、悪いと話している。「収納が少ない」「独立洗面台がほしい」「バストイレ別じゃなきゃヤダ」と欲張る娘。それを「そんな贅沢ばっかり言ってもしょうがないでしょ、予算を考えて」と諌めながらも「女のコの一人暮らしでしょう、やっぱりオートロックじゃないと……」とこぼす母親。
私(60)はと言えば、誰が心配するでもない。だいたいの地域と家賃の上限だけ伝えて、あとは不動産屋の兄ちゃんに勧められるがまま、適当に部屋を決めた。結局自分一人寝るだけの部屋である。
60にして初めての一人暮らし。これからは自分のために生きればいい。そう言えば随分と自由に聞こえるが、自分から望んでこの暮らしになったわけではない。単に他に選べる選択肢がなかったのでこうなっただけだ。
越してきた日の夜。家具のひとつもない部屋に佇む私(60)。これが自由と言うならば、なんて胸が高鳴らないんだろう。
やることもないので風呂に入ってさっさと寝ることにする。明日も仕事だ。
一人なのでお湯を張るのももったいない。シャワーでいいや。服を脱いで風呂場に入り、勢いよく蛇口をひねる。
……3月も終わりの頃とは言え、まだ肌寒い。早くお湯が出ないかな。
お湯……お湯……あれまだ水だ……マンションってあったまるの遅いんだな……
お湯……お湯……まだ水か……
お湯……
まだかな……
……お湯……
……
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ってなる頃でしょうね、きっと。こうなったらかわいそうすぎると思いませんか、私(60)が。自分で書いてて辛い。ガス屋さんに立ち会ってもらわないとガスは通らないんだよと教えてあげたい、すっぽんぽんでシャワーから永遠に出ないお湯を待つ私(60)に。
そう考えると居てもたってもいられなくなり、一人暮らしを始めることにしたのです。
20代の今なら親も元気だから、介護もまだ必要ないですよね。そりゃ寂しがるかもしれないけれど、兄はまだ実家にいるみたいだし、そう気にすることもないでしょう。どうせ口は出してくるだろうから、この際、物件選びやら家具選びやら引越し作業やらも手伝ってもらうことにして……
とまあ、要するに選択肢があるうちに前向きな気持ちで一人暮らしを始めてみたかったんですね。色々思う所があっての一人暮らしですが、これが一番の理由だと思います。
こういう風に考えて一人暮らしてる人間もいるわけですから、実家が都内なのに一人暮らしをしている若者を見かけても「お金がもったいない!!」等と言わず、温かく見守ってもらえたらと思います。あといい人がいたら紹介してあげるといいと思います。人助けは大事だと思います。
実家が都内にある人間が都内で一人暮らしを始めようとしたら親に大反対されたけどなんとかした話もあるのですが、こちらはまたいずれ。
【ライフハック】オシャレに悩んだらこう考える
こんばんはたまりもです。
ちょっとキャッチーなタイトルにしてみました。……キャッチーか?
オシャレの話をします。オシャレな話ではありません。
オシャレが苦手です。仕事場にはいわゆるビジネスカジュアルで通っているのですが、イマイチ正解がわかりません。とりあえず不潔でないとか極端に露出しないとかは心がけているのですが、うっかり上下とも黒い格好をして知らぬ間に喪に服してしまう等の失敗もしばしば。注意されたことはないのですが、褒められることもないんですね。普段着も同じ感じで、狙ったわけじゃなく「ちょいダサ」くらいのクオリティになっているんだろうなと思います(もはや自身のオシャレ度を測定することすらできません)。
自分がオシャレでないことは自覚していて、出かけるたびに「どうにかならんかな」と悩んではいたんです。ただ、あるときから
という超都合良人類皆性善説的考えに至りました。まあ要するにオシャレだなんだと悩むのが面倒になったので、そのための理由を見つけ出したんですね。
それからはもう布を身にまとってさえいればいいと思っています。特に困っていません。
うちのおばあちゃんがマミーだった話
こんばんは、たまリモです。
うちのおばあちゃんがマミーだった話をしてもいいですか?
マミーと言ってもミイラ的なものではないです。縁起でもない。
母親が早くに亡くなった私は、祖母が母代わりとなって育ててくれました……的な話でもないです。一切感動する要素はないです。すみません。
父方の祖父は若くして結婚し、若くして子どもを産んだので、「おばあちゃん」になるのも早かったんですね。初孫である私の兄が生まれたとき、まだ50前だったというのだから驚きです。
その若さゆえか、孫に「おばあちゃん」と呼ばれることに抵抗があったそうで、別の呼称を探していたらしいです。そこで行き着いた呼び名が「マミー」。
冗談みたいな話ですが、当時のホームビデオにも、父が幼い兄に「ほら、おばあちゃんだよ〜」と話しかけたらすぐさま「マミーね」と訂正していたシーンがあったので、わりと本気だったのだと思います。
今でこそ兄も私も「おばあちゃん」と至ってノーマルな呼び方をしているので、どこかで観念したのか考えを改めたのかわかりませんが、浸透していたらかなりややこしい事態になっていたことでしょう。あったかもしれない未来がなくなってほっとしています。
ちなみに、「おばあちゃんがマミーならおじいちゃんはなんなの?」という疑問に対しては
だそうです。「ジジイ」だからだそうです。
本当に浸透しなくてよかった。